夕方からは雨が様相される曇天だったので、こんな日は屋内に限るとこちらに伺いましたが・・・何しろ暗くて、沢山写真を撮ったのですが、私のウデではピンボケ&手振ればかり。
その上訪問した時間帯にはコンサートが行われており大食堂と大客室は見学できず、また観客がついでにお屋敷の見学もしていいたりで、1階はほとんど撮影できませんでした。
2階ホール
ステンドグラスと透かし彫りに彩られた階段を上ると広々としたホールがあり、各部屋に振り分けられます。 ステンドグラスは中庭に面しており、これを取り囲むように南側に家族の部屋、中庭を回り込んで北側には使用人のスペースが配置されています。 使用人のスペースは家族のスペースより半階ほど低い位置に作られており、階段を挟む事で明確に世界が分けられています。
2階はプライベートな空間なのでなるべく質素にと言う意向だったそうですが、いかにも貴族のお屋敷らしい華麗さです。 床は組み木細工、装飾用の建材は全てチークが使われています。
洋館ではありながら天井などの細工には、日本的なものを感じます。 欄干と同じ唐草の意匠は随所にあしらわれていますし、このステンドグラスの色合いも何処となく侘び寂びが漂っていないでしょうか?
夫人室
ホールの正面に位置した夫人の応接間らしいのですが、実質的な居間に近かったのかな? ピンク掛かった大理石のマントルピースが優雅、3部屋通しのベランダが開放的です。
夫妻の寝室
東南角に位置するこの部屋はホールから少し奥まった位置にドアがあり、プライバシーへの配慮が感じられます。 一方室内のドアから書斎前の次の間まで通り抜けができたり、浴室を介して直ぐに三女の部屋と女中部屋に行けるなど、生活同線も重視されています。
本当にここで家族が生活していたのだなと感じる配置です。
窓には透かし彫りのブラインドが嵌められていたり、南には美しいアルコープもあり、2階の部屋の中では最も手の込んだ作りになっています。 いくつかはおそらく当時のものと思われる家具が置いてあり、そのどれもが重厚で美しい肌合いをしており、当時の優雅な生活が想像されます。 そのお陰で室内に入れないのは残念なのですが・・・
こちらの建物は照明器具は一部を覗いて建設当時のものが使用されていますが、壁紙は全て張り替えられています。 その際建設時の意匠は考慮されていないようですが、当時の写真と比べると現在のものの方が雰囲気にマッチしているようにおもいます。 特にこの部屋のものは高級感もあり、とても素敵です。
三女居室
夫妻の寝室から浴室を隔ててすぐ隣、女中留からも直接往来ができます。 当時の写真にはベビーベッドが写っているので、幼い三女のお世話がしやすい様に用意されたのかとも思うのですが、天井の装飾や照明は2階の他の部屋よりずっと豪華、窓のデザインも優雅で、末っ子の部屋としてはちょっと贅沢が過ぎる様な気もします。
二女居室
夫人室と書斎・次の間の間にあります。
南に面してベランダにも出られる絶好の位置とは言え、他の子供部屋に比べて随分手狭。 しかも壁一面に作りつけの書棚があったり、陶器の重厚なマントルピースや青銅のシックな照明と、およそ女の子の部屋とは思えない雰囲気です。
もしかして・・・子供が増えたために書庫だった部屋を二女に受け渡したのでしょうか?
書斎・次の間
南西の角にある書斎には、次の間を介してしか入室できません。 家族にとっても近寄りがたい、当主の砦だった事が想像されます。
しかし現在は壁紙が一部はげたり、そもそも張られている壁紙が他の部屋より安っぽかったり、お気の毒な状態です。 家具が置かれて当時の雰囲気は感じられるのですが、最近の物なのか「書斎」にはあまり相応しいものではありません。
こちらの建物は当主が無くなった後は所有者が変わり、戦後は米軍に摂取されたり返還後は東京都近代文学博物館として使われたとり、数奇な歴史を辿っています。 その間に失われた物や変えられたものも多いのでしょう。 現在の形で一般公開されたと当時は全く家具がなく、ガランと殺風景だったそうで、追々に往時の雰囲気に近付ける様に手が掛けられているようです。
どの時代もこの建物の歴史ではありますが、フラリと訪れる身としては、前田侯爵の一家が暮らしていた当時の雰囲気が偲べるものであると嬉しいですね。
満足な写真が撮れなかった初回訪問ではありましたが、こちらは無料で公開されていて撮影OKな上に、スタッフの方たちが『前田の旦那様のお屋敷』と言いだしそうな程に親切で熱心で、おもてなしを受けた様な満足感が得られます。 もっと光が良い日に、式折々に再訪したと思っております。
また窓と照明が美しかったので、そちらの写真は下記に掲載しました。